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青い鳥の飛び去りし果てに、改めて、青い鳥の行方
- 2009/01/22(Thu) -
僕は今、まるで色を失くした世界にいるような心持ちでいる。
少し大袈裟かもしれないが、音もなく、体感温度もないブラックホールのような世界。
(ブラックホールは世界と呼べるのだろうか……)

あくまでも、そういう心持ちである。

僕にとって芝居をつくることは、ブレス。
ブレスが途切れれば、そういう心持ちもする。

公演を終えて暫くは、そんな感覚に囚われたままに時間が過ぎていく。
少しでも早く、次のブレスをと渇望する。

恥ずかし気もなく真実を語れば、今回の公演は大赤字だった。
これは、次回公演にも大きく響くだろう。

しかし、矛盾するようだが、赤字を背負いながらも笑って次回公演の準備に取り掛かろうとしている。
次回作の構想はほぼ出来上がった。何もシナリオばかりじゃない、目指す形の構想である。

一日でも早く幕を開けて、みなさんにお会いできますように。
『L'Oiseau Bleu/青い鳥』が幕を閉じた瞬間から、印象派はその目標に向かっている。

劇場へお越し頂いた皆様、上演にご協力頂いた方々、本当にありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

それでは、次回公演でお会いしましょう。
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青い鳥の行方
- 2008/12/07(Sun) -
本番まで間が無い。
相変わらず、台本のまとめやら印象派新聞(当日劇場で配布されるパンフレットみたいなもの)に掲載する為の文章を書かなくてはいけなくて、ブログの更新が途絶えていた。

数えれば、ひと月以上ぶりの更新である。

じゃあ、あれだね、ブログを更新していなかった分、そちらの執筆はすべて片付けたのね、と言われてしまうかもしれないけど、それがそういうわけじゃないから困っている。

書きたいことばかりが積もりに積もって、いっそ書かない道を選択してしまう自分がいる。

今回の芝居でも、最初に書きたいと思っていたことのほとんどは描かれていない。
当初は予想もしていなかったことばかりを書いている。

毎回決まってそうなる気がしないでもないが、今回は特にその要素が強い。

どうしてそういう事態になるのか、そのことに関して尤もらしい分析結果を示すことも出来るが、そこに本質はないように思われる。

書いていくうちに、目まぐるしく変化していく作品が僕は好きだ。
前回の『PYRAMID SONG』や、今回の『L'Oiseau Bleu/青い鳥』は、どうしてこういう作品になったのか、どうしてこういう作品になるのか、『青い鳥』はどうしてこういうラストシーンで終わるのか、自分でも説明しきれない部分がある。

それが面白くて、そこに集団創作の楽しみがあって、今まで続けてきた。
そして、これからも続けていくのだろう……
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優しい仕打ち
- 2008/10/31(Fri) -
(ひと月も前になるが) 前回の更新で、ちらと「腹上死」について書いたら、普段は何の音沙汰もない友人数名からコメントをもらった。そのほとんどが、(表層的な)共感の意であり、ああ、僕は完全に誤解されてしまったなという感じである。
そんなことを代弁したわけじゃないんだよ!と声高に主張したところで、それは単なる言い訳のようにしか受け取られないものだから、やりにくい。

もっとやりにくいのが、今回の表題でもある、優しい仕打ちだ。

優しさと一言で表しても、それを本質的に捉えることは難しい。
少しでも僕のことを知っている人間なら、僕が優しさからは遠く離れた性格にあるということを知っているだろう。こんなことを自分で書くのは悲しいが、自分が優れた人格者でないことは確かである。

しかし、少なからず、最低限のモラルは持ち合わせているつもりだ。たぶん。
いや、モラルとは言わないまでも、自分なりの判断基準は確固としてある。おそらく、……
(こういうことは書いていく内に段々と自信がなくなるから、面白い)

時として、他人の不幸をネタにして楽しんでいる自分がいるのは確かだが、それでも自分の中でネタにしてはいけない不幸の線引きというものはしているつもりだ。

……そう、線引き!
今日の話題に「線引き」はキーワードかもしれない。

例えば、何に関しても正論を言う奴がいる。そして、同様に何に対しても優しい。それが、その人間にとっての自然な振る舞いであり、やっぱり優しさなのだ、と。

でも、それに嫌悪を感じてしまうのは僕だけだろうか……

そういう奴に対して、空気を読めよ、などという野暮な突込みを入れるつもりはない。ただし、本当にそこにはあなた自身の意思はあるの? と訊いてみたくなる。

様々な事柄に対して自ら線引きすることが出来ないから、ひたすら全部に正論をぶつけているだけじゃないの? それって、○×ゲームにおいて問題自体には解答せずに、ただ全問○をつけて点数を稼ぐやり方と同じじゃないの?

中途半端な優しさほど残酷なものはないと言うが、僕は浅はかな優しさも同様だと思う。無責任な優しさも、自己陶酔的な優しさも、その優しさを正解だと思い込んでいる優しさも、すべてがヒドイ仕打ちになりかねないと思っている。

それを実際にそういう人間に伝えたところで理解は得られないのだが……

そういう奴ほどよく使うフレーズがあって、 「考え方はヒトそれぞれだから」

この言葉が、本当の意味での優しさを放棄することになりかねない意識のあらわれだと、どうすれば伝わるのだろうかと日々考えてしまう……
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君の望む死に方
- 2008/09/30(Tue) -
石持浅海の代表作に 『君の望む死に方』 という小説がある。
代表作と言っても、多くの人に知られているというだけで、彼の創作活動における代表作かどうかはわからない。少なくとも僕にとっては、 『君の~』 は彼の作品の中でも好きではない方の部類に入る。

でも、なんとなあくタイトルが印象に残っていたので、今回は拝借します。
内容は石持浅海の小説に関してではありません。

ちなみに、石持浅海はミステリー作家でありながら、所謂ミステリー作家とは違う気がする。文章は丁寧だと思うけど、特別上手いわけでもない。センスが光り輝く、と感じたこともない。発想は少し幼稚で、文章はオヤジ臭い。でも、稚拙な感じを残しつつも、ロマンチックでありドラマチックな作品を書いている。
そういった意味でいえば、 『月の扉』 なんかが彼の代表作には相応しいと思うんだけど、あんまり人には薦めることができないのは困りもんである。好みがはっきり分かれると思うし。

さて、今日は先にも書いた通り石持浅海の話ではない。
『君の望む死に方』 というよりも、 『僕の望む死に方』 についてだ。

それをずばり一言で言い表すと、 「腹上死」 である。

……誤解しないでほしい。そして、呆れないでほしい。
この言葉の本来持つ意味やニュアンスだけではなくて、もっと広い意味で捉えてもらいたい。

もちろんその言葉の通りでも、じゅうぶん魅力的ではある。男子の本懐、とでも言おうか……
不名誉な死とか言われてるけど、名誉ある死だよ、と思ってしまうのは半分冗談であり、八割方本気である。

さてさて、それでは僕の望む 「腹上死」 とは一体何ぞや、という話に進めよう。
本来意味するところの、女性の腹の上で死ぬ、つまりは 「性交死」 は置いといて、僕にとっては、舞台の上で死ぬことも腹上死だと思う。戦場キャメラマン(敢えてここではキャメラマン)が流れ弾に当たって死ぬことも、作家が自分の書く虚構の世界と現実の世界との区別がつかなくなって発狂死することも、明日のジョーがリングの上で真っ白になることも、全部が全部、腹上死と呼べるんじゃないか。そのぐらいの広義な受け取り方をしてもらえれば話はわかりやすくなる。

多くの人はそれらを 「殉死」 と呼んだりするんだけど、それじゃあニュアンスが伝わりにくい。
「殉死」 は、響きが立派過ぎる。立派に生きる努力はするけど、立派に死ぬ必要はないと思う。

死ぬ時ぐらいは社会的価値基準から大きくはみ出したい。何かに溺れるように死にたい。実際に、溺死はいやだ。もっと漠然と、何かに飲み込まれるように息絶えたい。いや、むしろ肉体や意識が死んでからも、息を絶やさないような死に方がいい。

僕の求めている 「腹上死」 は、ひょっとすると 「胎内回帰」 に近い願望なのかもしれない。
腹の上で生まれて生きて、腹の上で死ぬ。とは、なんとも魅力的だと感じてしまう。

今日はここまで。続きはまた今度。……というほどの内容ではない気がするけれど。
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公演延期と演目変更のお知らせ
- 2008/08/18(Mon) -
劇団印象派を旗揚げしてから、早いもので2年半が経ちました。
印象派の名を掲げて公演を打つのは、次で五本目となります。
当初の予定では、次回公演は今年の秋に新作『SWAN LAKE』を上演する予定でした。
しかし、誠に勝手ながら、公演を延期させていただくと共に、次回作の演目を変更致します。

理由は劇団内外の事情を含めていくつかありますが、まず一番に挙げられるのは、今一度劇団印象派が何をつくろうとしているのかを見直す機会を必要としていたことです。
そして、適当な公演日程を年内に組み込めなかったこともあります。
少しでも多くの方に劇団印象派の芝居を観てもらう為に今まで以上の公演回数を実現させるには、それ相応の準備が必要となりました。

もちろん、適当する公演日程を組む為だけに時間を置くわけではありません。
先にも書いた通り、劇団印象派が真につくりたい作品の方向性を見つめ直す期間でもあります。

前回の公演『PYRAMID SONG』を例としてもわかるとおり、今までの劇団印象派の作品では、「死」という観点から「生」を見直すという、言わば逆説的な立場で「人間の生」を描いてきました。
しかし、そうではなくて、真正面から「生」と向き合うことはできないだろうか。「生」の一部ではなく、「生きる」ということそのものを題材に作品を構築すべきなのではないか。
これが次回作の演目を変更した一番の理由であり、作品の方向性を再考するに至ったきっかけです。

人間が生きるということ、そうして他者と出会い、時には傷つけたり傷つけられたりしながらも、それでも互いに関わることを強く求め、喜びや悲しみを分かち合い、様々な別れを繰り返しながら、自分がこの世を去るその時まで、たとえ一瞬でも生き抜こうとする……
それらのすべてが、これから劇団印象派のつくろうとしている芝居のテーマです。

この次回作に向けた所信表明をもちまして、訂正とお詫びに代えさせていただきます。
来年の一月に、劇場で皆様とお会いできることを楽しみにしています。


2008年08月18日 劇団主宰、米山航平
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