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公演延期と演目変更のお知らせ
- 2008/08/18(Mon) -
劇団印象派を旗揚げしてから、早いもので2年半が経ちました。
印象派の名を掲げて公演を打つのは、次で五本目となります。
当初の予定では、次回公演は今年の秋に新作『SWAN LAKE』を上演する予定でした。
しかし、誠に勝手ながら、公演を延期させていただくと共に、次回作の演目を変更致します。

理由は劇団内外の事情を含めていくつかありますが、まず一番に挙げられるのは、今一度劇団印象派が何をつくろうとしているのかを見直す機会を必要としていたことです。
そして、適当な公演日程を年内に組み込めなかったこともあります。
少しでも多くの方に劇団印象派の芝居を観てもらう為に今まで以上の公演回数を実現させるには、それ相応の準備が必要となりました。

もちろん、適当する公演日程を組む為だけに時間を置くわけではありません。
先にも書いた通り、劇団印象派が真につくりたい作品の方向性を見つめ直す期間でもあります。

前回の公演『PYRAMID SONG』を例としてもわかるとおり、今までの劇団印象派の作品では、「死」という観点から「生」を見直すという、言わば逆説的な立場で「人間の生」を描いてきました。
しかし、そうではなくて、真正面から「生」と向き合うことはできないだろうか。「生」の一部ではなく、「生きる」ということそのものを題材に作品を構築すべきなのではないか。
これが次回作の演目を変更した一番の理由であり、作品の方向性を再考するに至ったきっかけです。

人間が生きるということ、そうして他者と出会い、時には傷つけたり傷つけられたりしながらも、それでも互いに関わることを強く求め、喜びや悲しみを分かち合い、様々な別れを繰り返しながら、自分がこの世を去るその時まで、たとえ一瞬でも生き抜こうとする……
それらのすべてが、これから劇団印象派のつくろうとしている芝居のテーマです。

この次回作に向けた所信表明をもちまして、訂正とお詫びに代えさせていただきます。
来年の一月に、劇場で皆様とお会いできることを楽しみにしています。


2008年08月18日 劇団主宰、米山航平
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コメント
-久々にコメントを…-
さて、前回よりだいぶ間が空いてしまいましたが、久々にコメントを残していきたいと思います。

まず、米山さんの日記に対してコメントを残さなかった理由を書いていこうと思います。
日記に対する言葉を探していたのですが、最終的に、自分の中で『矛盾』してしまう結果になってしまう為、書くのを途中で辞めてしまいました。
よって、書くのを躊躇っていました。
別に綺麗な文章を書こうと思えば、書けるのでしょうが、書いてる途中で陳腐な言葉となってしまい、自分の中で嫌悪感に苛まれるのも嫌だったので…。

今回、公演の延期に対しては、少しだけ残念な気分に…。
ただ作品の方向性の変換で、米山さんが納得するまで作品が作り込まれるのであれば、これは悦ばしいことだと考えています。

話を少し戻しますが、俺は「死」そのものは、悪ではないと考えています。
ただ少し「負」の要素が強いだけなのです。
少し昔までは、人は常に「死」と向き合うことができたと思います。
「正しいことをしたければ、悪いことをしなさい。」
一見矛盾していることを書いているかのように見えますが、
これは、「悪いことを知らない者は、何が正しいことなのか分からない」ということ。
「死」を知らぬ者に「生」に対する充実感は分りようがないのです。

長くなりましたが、次回公演楽しみにしています。
2008/08/20 00:00  | URL | 未完成人 #-[ 編集] |  ▲ top

-お久しぶりです-
未完成人さん、コメントありがとうございます。
ブログの更新がだいぶ遅れてしまいすみません。

僕の場合は台本を書き出している時期にブログなどを書くと、独り善がりな内容に終始しやすいというか、とても自分勝手な文章になりやすいような気がします。
それこそ未完成人さんの書かれたように、自分自身で文章に違和感(たしかに嫌悪感に近い)を感じることがあるのです。

そもそも、このブログ自体が僕の独り善がりと言われてしまえばそれまでなのですが……(汗)


公演延期のお知らせが急になってしまい、申し訳ないです。

正直に、出来る限り年内には公演をうちたい気持ちも山々だったのです。
しかし、物理的な状況も僕自身の能力もその目標におっつきませんでした。

でも、今までのように半年というペースを守ることを優先しなかったぶん、少しでも作品に反映させたいと思います。


たしかに「死」は「生」の対極ではないですね。「死」が負で、「生」が正とも限らない。「死」は「生」の一部だと思います。

一生懸命死のうとすることは、即ち一生懸命生きることだ……
もし、そう考えられるなら、生きることのそもそもが多くの矛盾を孕んでいるのではないでしょうか。
ちなみに僕は、その矛盾を肯定している人間です。
2008/08/20 07:57  | URL | 米山航平 #FsCnTU8o[ 編集] |  ▲ top

-20000番GET-
取り敢えず、劇団HPで【20000番GET】しました。
ただ…それだけの報告です。
「だから?」「何?」「それがどうかしたの?」等と言われたら、きっと「別に…。」と答えると思います。

さて、前置きが長くなりましたが…
前コメントで、『「死」が負で、「生」が正とも限らない。「死」は「生」の一部だと思います。』と言われていますが、この記載を読んだ時、思わず(電車内で)頷いてた自分がいます。
「いのち」は、「生」だけでは言えないような気がします。「死」も受け入れ、もっと深く行けば、「魂」さえも「命」の一部だと思えるのです。
「般若心経」の言葉で、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」と諭される部分がありますが、これも解読すれば、ある意味矛盾要素満載なのですが、ただ「(理を)全てを知った上で、無をも受けれなさい」と言っているような気がします。
また精神世界に入ってしまいそうなので、自制できるこの辺で…。
最後に、俺が好きな漢字たち(?)「命・時・理」です。
2008/08/24 11:10  | URL | 未完成人 #-[ 編集] |  ▲ top

-20000番GET、おめでとうございます!-
キリ番GET、ご報告ありがとうございます!
ようやく20000に届きました。

僕は熱心な信者ではないので、無責任なことは書けないのですが。
様々な宗教のほとんどが、多くの矛盾を孕み、同時にそれを肯定しているように思われます。
そして、だからこそ、人々はそれを指針にするのではないかと……

ただし、中にはその矛盾を安易に解明して(ひとまずの答えを出して)人を表面的に安心させる類の新興宗教もありますが。

どんな形にせよ、後世に残るほどの貴重な教え(考え方、指針)は、幾多の矛盾を受け入れる寛大さがあるように思われるのです。
2008/08/24 14:16  | URL | 米山航平 #-[ 編集] |  ▲ top

-追記-
そういえば、昨年亡くなった僕の義理の祖父の墓石には、ただ一文字、「無」と彫ってあります。
故人が生前から決めていて、予め用意していたものです。

なかなか素敵なお墓だと思います。
2008/08/24 14:20  | URL | 米山航平 #-[ 編集] |  ▲ top


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